現在ではプラント・オパールの研究により、縄文時代後期から晩期にかけては熱帯ジャポニカの焼畑稲作が行われていたことが判明している。
イネの品種には、ジャポニカ(日本型)・ジャバニカ(ジャワ型)とインディカ(インド型)があり、ジャポニカはさらに、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカに分かれる。温帯ジャポニカは、中国の長江北側から、日本列島というごく限られた地域に水稲農耕と密接に結びついて分布している。
弥生時代以降の水稲も温帯ジャポニカであるとされている。熱帯ジャポニカは、インディカの分布と重なりながら、更に広い範囲に分布し、陸稲と密接に結びついているのが特徴であるとされる。
列島へは、まず熱帯ジャポニカが南西諸島を通って列島に伝播した。温帯ジャポニカによる水稲農耕の始まりも近年の稲DNAに基づく研究では、DNAの多様性が朝鮮半島の方が少ないことから南方経由の可能性が高いとされ、また朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないことや朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり、日本列島のものを遡れないことなどから、稲作は日本列島から朝鮮半島へ伝播した説も出ている
